【Whatever Shimogamo入居者紹介⑤】 丸岡 峻(まるおか しゅん)
Whatever Shimogamo入居者様のご紹介⑤
MeHer株式会社 丸岡 峻(まるおか しゅん)
Whatever Shimogamo入居者紹介⑤
Whatever ShimogamoのHPを開いていただきありがとうございます。
前回のsunawaさんの紹介に引き続き、Whatever Shimogamoの入居者様を紹介します。
5人目は、MeHer株式会社の
丸岡 峻(まるおか しゅん)さんです。
Whatever Shimogamoでの丸岡さん
母の死と丸岡さん
丸岡さんは京都市左京区出身で、生まれたときから今までの約35年間を左京区で過ごされています。
そんな丸岡さんが5歳のとき、彼の考え方に大きく影響する一日がありました。
それは、弟の誕生と母の死というものでした。
当時5歳だった自分はあまり覚えていないが、親に後から「天国と地獄が入り混じった1日だった」と聞かされたそうです。
丸岡さんのお母さんは弟さんを出産すると同時に亡くなってしまい、それはやるせなく、悲しいことでした。
丸岡さんはお母さんの死から、起こってしまったこと、すなわち「過去はだれにも変えられず、今しか確実なことはない、だから今を自分は生きよう」と考えるようになりました。
おばあちゃんと過ごした幼少期
それ以降は、おばあちゃんがお母さんの代わりとなって、丸岡さんを育ててくださったそうで、いわゆる「おばあちゃん子」として人生を歩むこととなります。お母さんを亡くした丸岡さんが今まっすぐに、道を外れることなく歩んでこられたのはおばあちゃんのおかげと、今でも心の底から感謝されています。今、おばあちゃんは96歳ですが、丸岡さんは恩返しとして介護なども積極的に行い、「少しでも恩を返したい」という思いで日々生活されています。
丸岡さんのおばあちゃんは、自分で考える力を養うことができる育て方をしてくれたそうです。テストで100点をとっても大きく褒めちぎることはせず、自分で決断したことを伝えても「そうかあ。」と話を聞き、本人の意見を尊重してくれる。このおかげで、丸岡さんは自分で道を選び取る癖を身に着けることができたのでした。
幼少期から目立つことや一番になることが好きで、その上、その当時から新しいものが好きないわゆる「ミーハー」でした。また、「今を生きる」ためにやりたいと思ったら何でもすぐにやってみる子供だったそうです。
幼稚園は地元の幼稚園へ。山の上にある幼稚園だったため、毎日山を登って登園していたそうです。他の幼稚園に通ったことがあるわけでもないので当時は何とも思っていませんでしたが、今振り返ってみると登園中に自ずと自然に触れられるこの幼稚園に通えたことは、なかなかない経験で良かったと考えていらっしゃいます。また、目立ちたがりな丸岡さんは劇の主役なども積極的に手をあげ、一番最初に登園することにも喜びを感じておられたそうです。
幼少を回顧する丸岡さん
ナンバーワン
小学校も地元の公立校に進学します。相変わらず一番が好きでミーハーな子供で、オールマイティに何でもできるリーダー、そんな小学生でした。成績は全教科三段階評価でマックスの「オール3」。足も速かったためリレーのアンカーを6年間勤めあげたりと、だれもがうらやむナンバーワンでした。しっかりしている、よくできるといった良い評価しかされないほどに、自他ともに認める優秀な生徒で、卒業式では卒業生代表挨拶もつとめました。他にも、夏休みの自由研究を一つ提出すればいいところを何を思ったのか10個提出したこともあったそうです。しかし、将来の夢という夢は特にありませんでした。
習い事は、近所のピアノ教室に通い、趣味程度だったそうですがそれでも7年間楽しんで続けていたそうです。また、小学校では野外活動を通じ、より良き社会人を育成する青少年活動であるボーイスカウトに入団しており、毎週土曜日にアウトドアやキャンプに行くのはとてもいい経験だったと振り返っておられました。
とにかく、「一番になりたい、他人と違うことがしたい」という想いが小学生・丸岡さんの行動の源泉でした。しかし他人に一番だからという理由でほめられたい、認められたいというわけではなかった。「一番」に並々ならぬ「何か」を感じているのです。
優等生からヤンキー、そして生徒会長に
中学校も地元の公立校に進学しました。小学校のころと同様に優秀な生徒として入学式の新入生代表挨拶を勤め、部活は野球部に入り、1年生でありながらポテンシャルを発揮し、レギュラーとして試合に出ていました。しかし、これまで優秀な生徒だった丸岡さんが豹変します。ヤンキーになるのです。中学2年生の最初のころから、ヤンキーの生徒たちと行動を共にするようになり、遅くまで出歩き、制服を着崩して、そんな誰もが想像するヤンキーとして仲間と気楽に生きていました。
しかし、素行の悪さが学校に伝わり野球部のレギュラーを外されます。ここで丸岡さんはヤンキー脱却を決意し、それと同時に、何を思ったか生徒会長になることを決意します。そして生徒会長に当選を果たし、野球部のレギュラーにも無事復帰することができました。
生徒会長に就任してからは「高中スリーピース宣言」(参考:http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=202701&type=7&search_word=%B9%E2%C3%E6%A5%B9%A5%EA%A1%BC%A5%D4%A1%BC%A5%B9%C0%EB%B8%C0&search_option=1)という学校の新しいメッセージ制作を、発案から主導して行いました。このとき創った詩は、現在校歌と同じ立ち位置になっており、校歌のように今の生徒にも愛され、歌われています。
小学校まで夢のない生徒だった丸岡さんですが、中学校でとある夢ができました。それが教師です。丸岡さんがヤンキーから更生する際、野球部の顧問の先生が厳しく愛のある指導をしてくれたのでした。熱血教師で、感情に説明を持たせてくれるそんな人でした。丸岡さんはこの先生にあこがれて教師を志したのでした。
高野中学校(引用:https://www.homemate-research-junior-high-school.com/dtl/00000000000000355878/)
遊び惚けた高校時代
高校は公立高校を受験しますが、当然オール5の丸岡さんは難なく合格します。入学後、野球部に入ろうとしますが、見学に行った際に先輩のプレーに失望してしまいます。「ああ、これなら野球もうやめよう。」そう思って野球部に入ることを諦めて帰宅部として遊び惚けることに決めたのでした。髪を染めたり、海やスノボなどに行ったりと、遊んでいる高校生らしい遊びは全部しました。もちろん、遊び惚けていたため、今までのようにオール5を取得することはできませんでした。しかし、ポテンシャルとテスト前の勉強である程度成績上位も死守し、「クラスで一番遊んでるし、クラスで一番陽気なやつだけど、勉強もスポーツも結構できるやつ」として立場を確立していました。ここでは一番陽気な人を目指していたのかもしれません。
当時、一番仲が良く、一番一緒に遊んでいた友達は今でも親友です。小学校から一緒だったのですが、高校で馬が合いよく一緒に遊んでいたそうです。その友達も野球をやめており、共通点が多いことも仲のいい一つの理由だったのかもしれませんね。
スターバックスコーヒージャパンと丸岡さん
大学受験は推薦入試で合格。あまり深く考えずに地元の大学で、一番最初に合格が決まった大学への進学を決めました。数理科学科に入学するのですが、入学後授業を受ける中で実は数学がそんなに好きではないことに気づき、半年で経営学部に転部します。また、中学校のころから志していた教師ですが、大学生活を謳歌したい想いの方が大きくなり、教師の夢を簡単に諦めてしまったのです。
大学時代はバイト漬けの毎日でした。スターバックスコーヒージャパンで丸岡さんは4年間バイトをしており、一番印象に残っていることは、「神戸屋」の現社長と一緒に働いていたこととのことです。そんな出会いもあり、良い企業に良い人は集まる、人との出会いは大切なものなんだと改めて感じたのでした。
「豆を売るのは得意だった。」
働く中で「こういうの(サービス業)好きなんだな」と感じたそうです。コーヒーは丸岡さんにとってはあくまでもツールであり、売れることより、相手が喜んでいる顔を見るのが幸せだと感じていたそうです。お客さんのためになるなら、どんなことであろうとすべて是なんだな、それがサービス業なんだと感じたのです。
スターバックスコーヒー豆(引用:https://www.starbucks.co.jp/press_release/pr2023-4907.php)
成人式で恩返し
成人式の半年ほど前のある日、丸岡さんの陽気なキャラや優秀なイメージもあり新成人代表の挨拶に登壇することを友人に突然薦められました。なんとなくの流れでそのままエントリーし、無事登壇することが決定。「これを機に少しでも恩返しをしよう。」丸岡さんはそう思って挨拶の文章を考え始めます。丸岡さんのおばあちゃんは、当時戦争で成人式に出ることができず、その年の成人式では、丸岡さんのおばあちゃんのように自分の成人式を戦争などのやむを得ない事情で出席できなかった人が、最前席で成人式を見学することができました。そんなおばあちゃんに今までの感謝を伝えたい、成長した姿を見せたいという思いがあったのです。人前で話すことは得意だったため、新成人数千人を前にしてもいつも通り楽しく話し自分の姿を見せることができ、薦めてくれた友達のおかげで、今までの自分のキャラのおかげでおばあちゃんに成人式という場で恩を返すことができたのでした。
ミーハー就活、そして消防士へ
そんな丸岡さんは就職活動においてもミーハーでした。当時、木村拓哉主演の「グッドラック」というドラマを見て、丸岡さんはパイロットにあこがれパイロットになることを決意します。パイロットになるには、航空会社か航空大学校に行く必要があり、チャレンジしてみたものの、ANAやJALのような航空会社は最終面接一歩手前で落ちてしまい、航空大学校は適性検査で落ちてしまいます。仕方なくパイロットをあきらめることになった丸岡さんは、「営業とかやるなら大きいもの売りたいし皆知っているような会社にいこう」と考え、とりあえず知っている上場企業を片っ端から受けて内定をいくつか頂きました。
しかし、大学4年生のGWに「やはり全国転勤したくない、やっぱり京都に住みたい」という理由で、内定先への就職を迷いだします。そんな時、知人に公務員を薦められました。
「よし、公務員になるか。」と思い、とりあえず試験対策が間に合いそうなものを探し出します。それが消防士でした。そして、無事公務員試験に合格し消防士として就職することが決まりました。
消防士時代
動機が京都に住むためというただそれだけであったため、本人曰く同期の中でもっとも熱量の低い消防士だったそうです。その分、あらゆることを客観的に捉えることもでき、何かあったらすぐに辞めて独立することはその当時から心に決めていました。
消防局のHP統括、部隊長、財務、火災予防など様々な仕事に約10年間従事。10年いた理由としては、公務員に自分が甘えてしまったからだと述べます。公務員は身分保障や給料面などの待遇はある程度しっかりしており、さらに終身雇用が普通の組織風土でもあります。なんとなく生きているとずっと居てしまう、そんな仕事だったと振り返ります。
消防士時代の丸岡さん
消防活動に励む丸岡さん
IT・webとの出会い
そんな丸岡さんは、25歳の時、消防局のHP統括を担当することになりました。ここで始めて、HTMLやCSSといったWebサイトの基本を知ります。当時はフェイスブックやツイッターといったSNSが生まれたばかり。丸岡さんは、HPやSNSがもっと自分たちのことを知ってもらうためのツールなんだなと気づき、このITツールの面白さに気づいたのです。ここから丸岡さんはITに傾倒していくことになります。
27歳の時、個人でメディア運営を開始します。SEOなどを独学で学び、旅行系まとめサイトの中で日本一のアクセス数を獲得することにも成功しました。これによって自信が付き、「自分でもっとやりたい」その思いが沸き上がります。
「公務員は副業できないので独立するか。でも、なんとなく今じゃないな。」
ぬるま湯につかっていた丸岡さんはその時すぐには退職することを決められませんでした。しかし、その後消防士として働く中で、実力試しではなく本気でもう一度Webに関することをやりたいと思い、退職を決意します。
その後、上場を目指す医療系・ヘルスケア領域のベンチャーにマーケティング統括としてJoin。しかし、一緒に働く中で、「人生一度きり。やはり自分で立ち上げて前へ進みたい」。その思いに正直に、自身で起業するという道を選ぶことにします。
マーケティング責任者としてリニューアルを統括したコーポレートサイトのメインビジュアル
独立と自分の「やりたいこと」
ITで事業をやろうとは考えてはいたものの自分のやりたいことは何だろうかと考える日々が始まります。Webサイトの制作なのか、ヘルスケア領域の事業なのか、マーケティングのコンサルテーションなのか、悩む毎日でした。そのため7月に会社を立ち上げることをまず決めて、「できること」と「やりたいこと」の切り分けを行いました。そして、自分のやりたいことは「やりたいを叶える」事業なんだと気づいたのでした。デジタルマーケティングのコンサルテーション・伴走型支援は、個人事業主や中小企業の経営者の想いを助けて支援したい、やりたいと思ったことを諦めてほしくないという思いがあるからやりたいことなんだ。ヘルスケア事業は、健康が損なわれることでやりたいことができなくなることを防ぎたいからやりたいことなんだ。こう気づいたのでした。
また、法人を設立せずに個人事業主として事業を行うこともできました。しかし、自分の知らない世界をもっと見たい、起業しないとわからない世界に行きたいと思い、法人を設立することに決めたのでした。起業の準備はわからないことばかりでしたが、楽しいものでした。
MeHer株式会社と丸岡さんのビジョン
そして、7月14日ついに「MeHer株式会社」を設立。MeHer株式会社では、Webデザイン(ホームページなどのサイト制作)・デジタルマーケティング支援を主軸に事業を展開していくことを決めています。また、1年以内を目処にヘルスケア領域でのサービスもローンチ予定です。ビジョンは「誰もが『やりたい』を叶えられる世界をつくる」です。人生のフェーズごとにやってくる課題。それは自身の課題だけでなく、家族の健康面へのサポートであったり、金銭的な問題かもしれません。しかし、もしかするとたったひとつのきっかけでそれが解決するかもしれません。MeHer株式会社では、課題解決のソリューションをあなたに合った形で提供し、伴走していきます。ひとりでも多くの人の「やりたい」を実現するために。
やりたいと思った時に自分たちのおかげでできました、と言ってもらいたい。様々な方面からも人のやりたいを叶えたい。何かうまくいかないところの「やりたい」を叶えていきたい。いろいろな背景でできないことを減らしたい。みんながやりたいことをやれる世の中にしたい。こういった丸岡さんの思いからMeHer株式会社はできあがったのです。
丸岡さん自身が、健康であることがすべてのベースと考えています。そのため、心の健康なのか、体の健康なのかはまだ分からないが、ヘルスケア事業もやっていきたいと考えているのです。いろいろな方面からのできないをなくすために、まず何よりものベースである健康を考えたいと考えているのです。
丸岡さんは、会社の事業とは別に個人で「スナックしゅん」というラジオをやることも決めています。自分の体験した面白いことを自分だけのものにしておくのはもったいない、だからおもしろいゲストを招き、「おもしろいこと」を世の中に発信していこうと考えています。
会社のロゴも自身で考えました。「やりたいと思っている人たちの橋渡しをする会社でいたい」という意味を持っています。
MeHer株式会社ロゴ
スナックしゅんロゴ
Whatever Shimogamoと丸岡さん
Whatever SHIMOGAMOは、家から近く、下鴨という良い立地で、雰囲気もいい、そう感じて内見当日に契約を決めました。
Whatever SHIMOGAMOの一番の良さはコミュニティがあることだと述べます。
人と人とが交わる場所――
それがこの施設の価値であり、人がいて成り立っている。フランクに話すことができる空気感や、交流をいとわない入居者の方々。また、コロナ禍によるオンラインの進行によって再認識されたオフラインの交流・繋がりの魅力。これが好きなんだとおっしゃいました。丸岡さんはよく一階のキッチンスペースで入居者の方とご飯を食べながら話しており、プロテイン試飲会なども企画して交流を自ら深めています。素敵ですね。
Whatever Shimogamoにてプロテイン交流会を開く丸岡さん
京都と丸岡さん
公務員として京都市の行政にかかわってきたからこその京都の課題も理解しています。そして、良くも悪くも行政に染まってこずに独立した今は自分の好きな京都を目指すために好きなことができるとも感じています。京都を発展させたい、京都市と何かできたらいいとも考えています。消防時代のつながりも活用していろいろやっていければと考えているのです。
未来を見つめる丸岡さん
大事にしている価値観、目指す世界とWhatever Shimogamo
丸岡さんが大事にしている価値観は好奇心を失わないことです。きっとどんな人でも、小さいころは目を輝かせ、夢を描いていた。しかし、大人になるにつれて、様々なしがらみなどで自分に嘘をつき社会に順応しようとする人が多い。それはおかしいと感じているのです。
「好奇心を失ったら人間である意味はあるのだろうか。」
AI時代にそんな疑問を抱きます。
人々のやりたいという思いを表出していい社会をつくりたい。自分が描きたい自分であり続けることの難しさを改善したい。面白いことをやるのは楽しいことで、新しいことを始めることは恥ずかしいことではないと伝えたい。皆に目をキラキラさせてほしい。
そんな世はきっと幸せだ。人生は一度きり、死んだら終わりなんだから好奇心を失わずに、やりたいことやろう。こう考えているのです。
そのため、いろいろな人と話すことを大切にされており、性別や年齢に関係なく話すことで知らないことに触れる。Whatever SHIMOGAMOはそれが叶う場所でもあると述べます。いろいろなジャンルの話と媒体に触れ、好奇心の種を常に探し続けるため、今日も雑談を大切にされています。
最後に
以上、丸岡峻さんの紹介でした。
今を生き、やりたいことをやり、人のやりたいをかなえる、きさくな方です。
インスタグラムでも丸岡さんを紹介させていただいております。よろしければご覧ください。
https://www.instagram.com/p/CvGnYfpPI2R/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA==
丸岡さんとお話ししてみたいという方はぜひ、Whatever Shimogamoまでお越しください。
MeHer株式会社コーポレートサイト
丸岡さんリンクツリー
前回のsunawamakiさんの紹介はこちらです。
https://whatever-produce.com/info_shimogamo/whatever-shimogamo-nyukyosha-sunawamaki/
次回の入居者様のご紹介もお楽しみに。