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【Whatever SHIMOGAMO入居者紹介】 Wellridge株式会社/茶人 室橋 健 (むろはし けん)

2024.3.28

Whatever Shimogamo入居者紹介 Wellridge株式会社/茶人 室橋 健(むろはし けん)

Whatever Shimogamoの入居者様を紹介します。

本記事では、Wellridge株式会社 / 茶人の室橋 健(むろはし けん)さんを紹介します。

 

幼少から高校時代

室橋さんは千葉県・流山市の出身です。いまでこそ「人口増加率 5年連続で日本一」の流山市ですが、生まれ育った当時は特色のないベッドタウンだったため、幼少期から中学校までの記憶がほとんどないと語りました。

全力で勉強を頑張った高校受験で「大失敗」した結果、高校は「第6志望」の市川高校に進学しました。
「人生の暗黒時代。全く行きたい学校じゃなかった。青春が1ミリもできなかった高校生活でした。」

室橋さんが進学した市川高校は、室橋さんの入学年が「千葉県最後の男子校」。一学年下から共学化され、もう千葉県に男子校は存在しません。市川高校での地獄を象徴するエピソードを紹介します。

皆さんご存じの通り2月14日は「チョコもらえないかな」と男子がウキウキするバレンタインデー。しかし、市川高校ではバレンタインデーにむさ苦しい男400人で、真冬の泳げない沖縄に修学旅行で行く暴挙。驚きですよね。

「いい思い出が全くない。」と室橋さんは語ります。
授業中にスマブラで遊び、部活動は入らず、仮病で早退して舞浜に映画を見に行く、そんな堕落した毎日を過ごし、室橋さんは偏差値がみるみるうちに落ちていきました。そして、東京大学を受験し、センター試験で1点足りずに「足きり」不合格。二次試験を受けられず、浪人することになりました。

 

市川高校外観(https://www.ichigaku.ac.jp/facilities/)

市川高校外観(https://www.ichigaku.ac.jp/facilities/)

 

浪人生活

浪人生活が始まっても、室橋さんは勉強に身が入らない毎日。そんな浪人時代の2008年の12月27日、高校で一番仲良くしていた友人と久々に会うことになりました。その友人は現役で慶応大学のSFCに進学しており、久々に会うと、真面目な高校時代は黒だった髪は金髪になり、そして顔は真っ黒に日焼けし、アルティメットというスポーツに打ち込んでいました。

「むろちゃん、SFC面白いよ。」
この彼の一言がきっかけで室橋さんは東大受験を捨て、慶応SFCの合格だけ狙うことにしました。実家を出たかった室橋さんは、千葉から通えてしまう東京の大学よりも、神奈川の奥地にあるSFCに進学すれば一人暮らしもできるし「大チャンス」だと考えました。そう思うと一気に力が沸いてきて、小論文の試験対策を毎日10時間以上取り組みました。そして晴れて、慶応大学SFC総合政策学部に合格するのです。高校時代の友人のおかげで進路を切り替えることができました。

 

「移動人生」の開始

「高校と浪人時代は地獄。大学時代は最高。」
室橋さんは人生で初めて、楽しいと思える学生生活を送り始めました。

最初の大きな最高の思い出は「北京大学」への短期留学です。

2010年3月、1年生の春休みに中国・北京に短期留学を行いました。そして室橋さんは北京で驚愕したのです。灰色か黄色の汚れた空、薄暗くて汚い部屋、毎日マイナス15℃で極度の乾燥…でも、そんなカオスが最高!日本との違いに驚きを隠せませんでした。

この北京留学が、後に室橋さんの「移動人生」の始まりとなるのです。

留学から帰ってきてサークルや文化祭実行委員などにチャレンジしそれなりに楽しみましたが、すぐに飽きてしまいました。そこで全部やめて、大学2年生からはインターンの「仕事」に振り切ることにしました。

 

飲食店経営

2010年の夏から、新宿・歌舞伎町のたこ焼き屋の副店長として夜の6時から朝の6時まで、1日約12時間たこ焼きを焼き続けます。また、副店長として飲食店の経営に関わることはすべて行いました。たこ焼きを作るのはもちろん、PLやBS、採用などの活動もすべて行いました。お店は歌舞伎町に構えていたため、お客さんは海外旅行客かホスト/キャバ嬢でした。お店は海外旅行客に対応できていなかったので、室橋さんはIllustratorを用いてメニューを作りなおし、日本語に加えて英・中・韓の三か国語に対応しました。その他、さまざまな店舗改善に取り組んだ結果、たこ焼き屋の売上は3ヶ月で2倍になりました。

次は社長の命令で、浜松町でのうどん屋の経営を行うことになりました。室橋さんは、社長から「讃岐うどんのノウハウを学びに香川に行って来い。」と命じられ、車で10時間運転して東京から香川に乗り込みます。そして香川でうどん修行を行いノウハウを身に着けて東京に戻ったのです。しかし、いざうどん屋を開店すると、毎月大赤字。速攻でお店を閉じることになってしまいました。そこで室橋さんは思います。
「飲食は面白い、しかし初期投資が大きい分、失敗したときのリスクが大きすぎる」と。

 

笑顔で語る室橋さん

笑顔で語る室橋さん

 

東日本大震災、そして北京へ

そのためインターンを退職して、オイシックスのネット食材通販のインターンにジョインすることにしました。当時住んでいた品川から、オイシックスのオフィスのある五反田まで自転車で行き、「よっしゃ、今度はネットで食材売るぜ」と意気揚々と出社しました。しかし産休に入るメンバーの補填として、「ネット通販」ではなく「人事部」に配属されました。これは想定外。自分の興味とは違う人事の仕事と面接者へのお茶くみをする毎日に、もやもやする日々。数ヶ月して、辞めようと思った矢先に日本を襲ったのが東日本大震災でした。

2011年の東日本大震災の混乱の中、3月18日から北京に再訪する予定がありました。この状況で行くか迷いましたが、北京を訪れることを決めました。北京到着後、北京大学に通う知り合いから「北京では起業は普通。どんどん新しいものが生まれ、常に成長している。」と言われ、「北京留学」を決意。帰国後、中国の東大である「清華大学」にたった30万円で語学留学できることを知りました。「これは安い、チャンスだ。」と思い立ち、2011年9月に留学を開始。北京には、日本から直接向かうのではなく、中国と東南アジアの位置関係と繋がりを知るために1ヶ月半かけて東南アジア諸国を経由して向かいました。この経験から「留学は寄り道入国 & 寄り道帰国」がマイルールになりました。

 

二度目の北京留学

最初は流暢に中国語を話せないため、授業ではチョークを投げつけられることもありました。「おまえは本当に中国語が下手くそだな」と言われることもあったそうです。理不尽な教師に不満を抱き、室橋さんは大学に行かなくなり、カフェで毎日10時間以上中国語を勉強し、中国語を現地の方とひたすら話しました。すると3ヶ月で急に話せるようになりました。

ここで小話ですが、留学前に室橋さんが住んでいたシェアハウスには、一橋大学のウズベキスタン人の友人らが住んでいました。そして室橋さんの留学後、そのシェアハウスに新しく入居した方がいました。その方がなんと現在の室橋さんの婚約者であり、Whatever Shimogamoにも入居されている福井さんなのです。このとき、鍵を渡すために、室橋さんのお母様が室橋さんよりも先に福井さんに出会ったのです。

そのウズベキスタン人から、北京にいる、株式会社クララオンラインの北京支社長を紹介されました。ここから室橋さんの仕事生活が再び始まります。室橋さんは清華大学には行かずに、インターン生としてフルタイムの社員と同じように仕事をしていました。仕事では、香港や上海、ウルムチ等へ出張で連れて行ってもらい得難い経験をしました。

しかし、学生ビザが切れてしまいます。室橋さんは日本に帰りたくなかったため、会社からビザを発行してもらい、一時帰国中に楽な授業の履修登録だけ行いすぐに北京に戻りました。北京に戻ってすぐに、上海事務所の立ち上げを任され、3カ月間単身で上海に住み、黒字化までビジネスを成長させました。

 

新卒時代

しかしこのままだと「大学中退」になってしまうリスクがあり、長期的なキャリアを考えた結果、2012年12月にクララオンラインを退職し日本に戻ることを決意。就活では運良くリクルートホールディングスの「ウェブ人材採用」で内定。内定後は、夏休みにヨーロッパ一周旅行や、春休みに卒業式に行かず世界一周旅行を50日間行いました。途中で立ち寄った英国・ロンドンに感動し「3年以内にロンドンに住む」ことを目標にしました。

2014年の4月から新卒として働きはじめたリクルートでは、求人媒体を取り扱うリクルートジョブズに配属されました。しかし、ドメスティックすぎる仕事場では自分の強みが活かせないと悩み始めます。ありがたいことに副業OKであったため、知り合いのインドネシア人のインバウンド向け観光事業を手伝っていました。そして、その会社が軌道に乗ってきたため、室橋さんはリクルートを1年で退職し、そちらにジョイン。インドネシア人3人と室橋さんの4人で仕事をスタートしました。

 

前職時代の室橋さん

前職時代の室橋さん

 

イギリス・ロンドンへ

インドネシア人の会社で働く中「ロンドンに行く夢」が1年早く来ました。2016年、イギリスのBrexit (EU離脱の国民投票) が話題になったからです。1989年の「ベルリンの壁崩壊」のよ

うなイベントがあれば絶対に見に行きたいと思っていた室橋さんは、予定を早めBrexitを目撃するために英国入りする計画を立てました。ここでも「留学は寄り道入国&寄り道帰国」のルールに従い、旧大英帝国圏だったマレーシアやオーストラリアを経由してBrexitの国民投票日の2日前、6月21日に英国へ入国しました。

無事ロンドンに到着して2日後、Brexitの投票場に取材に行きました。そこでインタビューした人は、皆口をそろえて「ロンドナーはみんな「残留」に投票している。心配しなくて大丈夫やで!」と笑顔で言っていたそうです。結果は知っての通り「離脱」。その結果、ポンドが大暴落したため、室橋さんは学費や生活費が30%OFFになり、先輩から嫉妬されました。

ロンドンでは「大学院準備コース」という1年間のコースに在籍していました。しかし、室橋さんは「日本人ばかりで面白くない。無理だ。」と感じます。そこで、教室長に直談判して交渉することで、準備コースからデザインスクールの大学院に編入しました。しかし、大学院で一番重要な最初の2ヶ月の授業を受けていないまま編入したため、勉強についていくのは大変でした。毎日がむしゃらに勉強し、同級生のサポートも得て、なんとか1年で修士号を取得することができました。

 

Brexit投票場(撮影:室橋さん)

Brexit投票場(撮影:室橋さん)

 

当時のイギリス市街(撮影:室橋さん)

当時のイギリス市街(撮影:室橋さん)

AnkerとHubSpot

イギリスの大学院研究室で、「自分が毎日使っている、好きなもののマーケティングの仕事をしたい」と考えました。そこでふと自分の鞄の中を見てみました。ここで英国のAmazonで購入していたAnkerのバッテリーとケーブルに目が留まったのでした。「これだ。Ankerを受けてみよう」と思いAnkerの求人に応募。帰国して3日後に内定し、次の週から働き始めました。

Ankerにジョインしてからはウェブサイトの立て直しを行いました。Amazonに飛ばすだけの「カタログサイト」からAnker Japan独自の「通販サイト」を構築し、自社サイトでも製品が売れるようにしたのです。パ―トナー探しからローンチまで死ぬ物狂いで行った結果、ウェブサイトリニューアルが円滑に実施でき、室橋さんにとって初めて「語れる実績」となりました。

現在勤めていらっしゃるCRMツールで有名なHubSpotとの出会いはAnker所属時でした。室橋さんは、Ankerの売上増加を目指しHubSpotを導入。無駄な工数カットと売上増加に成功しました。その後社長の一声で、マーケティングから営業へ異動したのですが、「営業は向いてない…」と思っていたところ、HubSpotの担当から「独立するので次の担当者としてどうですか?」と誘っていただき、3年でAnkerを卒業し、HubSpotへ転職したのです。現在HubSpotではマーケターとして、広告運用やSEO対策、オンラインセミナー等を行っています。

 

Ankerで働くきっかけとなった愛用のバッテリー&ケーブル

Ankerで働くきっかけとなった愛用のバッテリー&ケーブル

 

京都、そしてWhatever Shimogamoへ

HubSpotで働いていた時は、もともと東京日本橋に住んでいました。その理由は、日本の道路の元標が日本橋にあるからです。0号線ですね。京都だと三条大橋が元標に当たります。室橋さんは日本の中心と言えるこの道路の始点と終点に住みたいと考えたのです。

コロナ禍になり、室橋さんはHubSpotでフルリモートで働きながら、2021年には全国のホテルを転々としながら様々な都市に住んでいました。そして、茶人として一番魅力的だった京都に引っ越すことに決めたそうです。2022年GWに東本願寺の裏、築160年の3Kの京町家に引っ越しました。京町家には日本茶と中国茶の茶室をそれぞれ手作りし、京都の生活を楽しんでいました。そんな中LinkedInの投稿で、福井さんが京都にいることを知り、その後交際へと発展しました。時を超えて交際に発展するなんて素敵ですね。

2023年の下鴨へ引っ越しするため、シェアオフィスを探していた室橋さんは福井さんから「雰囲気の良いオフィスあんで」と紹介され、Whateverへ入居することになりました。

「弊施設での生活には二つの良いところがある。」と室橋さんは述べます。

一つはソフト面です。

「リモートは横のつながりが断絶している。一緒に帰ったり、挨拶を交わしたりということがない。でも、ここでは途絶えてしまったそれを味わうことができる。」

Whatever Shimogamoには社長の楪葉を中心に入居者同士が緩やかにつながり、断絶していたはずのつながりが溢れています。これが好きなんだとおっしゃいました。

もう一つは、ハード面。弊施設はレンガ調で英国のデザインに近く、英国好きな室橋さんにとって理想的だったのです。

 

京町家に造った茶室

京町家に造った茶室

 

趣味・中国茶

室橋さんの趣味は中国茶です。2016年の1月に、当時住んでいた品川にあった中国茶の教室を訪れます。そこで淹れてもらった中国茶に感動し、その場で師匠に弟子入りしました。それからは中国茶藝の鍛錬を開始し、英国では「Tea Sommelier」の資格取得を行い、2019年9月には台灣・台南の「台灣茶藝コンテスト」に出場しました。現在は、京都・東京を中心に日本全国で中国茶を振るまっています。Whatever Shimogamoでもお茶会を開催していただきました。

 

お茶会を開く室橋さん

お茶会を開く室橋さん

 

想い、そして今後

仕事で大事にしている価値観は、顧客ファーストです。HubSpotで学んだ思想で「Providing value before extracting value(価値を顧客から受け取る前に、こちらから顧客に価値を提供する)」という考え方に共感し、大切にしています。

生きる上で大切にしている言葉は、禅の言葉である「放下著」(ほうげじゃく)です。これは、無駄なプライドや執着を捨て去れという意味です。人生を良くしたいと考えたとき、通常人は新しいものを取り入れなければと考えがちです。しかし、モノを先に買ってしまうと部屋はどんどん散らかるように、足し算より先に、引き算することが大切。いらないものを捨てるから、次に進み、新しいことに挑み続けていけると考えているようです。

室橋さんには今後3つやりたいことがあります。一つ目は、京都を中心に日本の中小企業経営者にデジタル化、海外販路提供、直販チャネル構築のサポートを行うコンサルティングを行うこと。二つ目は、健康に関するオンラインメディア運営。自身が健康オタクなこともあって健康な生活を広めていきたいと考えています。そして三つ目は、茶人としてお茶を極め、広めていくことです。

 

笑顔でお茶を入れる室橋さん

笑顔でお茶を入れる室橋さん

 

最後に

以上、室橋健さんでした。海外を移動しながら、自分の大切なものを心に持ち、切り替え続けることで前に進んできた室橋さん。彼が目指す三つのやりたいことも成功してほしいと切に思います。

インスタグラムでも室橋さんを紹介させていただいております。よろしければご覧ください。

室橋さんとお話ししたいという方はぜひWhatever Shimogamoにお越しください。

HubSpot Japan 株式会社

https://www.hubspot.jp/company-information

その他の入居者の記事はこちら

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次回の入居者様のご紹介もお楽しみに。

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