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【RiverSide入居者紹介】 株式会社アカイノロシ 矢野 龍平(やの りゅうへい)

2023.10.30

RiverSide入居者紹介

RiverSideの入居者様を紹介しております。

本記事では、株式会社アカイノロシ代表取締役の矢野 龍平(やの りゅうへい)さんです。

 

矢野さんの幼少期

矢野さんは京都生まれ京都育ちで、上賀茂で育ちました。

幼少のころから好奇心の強い性格でした。
京都は四方を山に囲まれた盆地です。そのためどの方角を見渡しても山があります。矢野さんの生家の裏には太田神社という神社があり、その神社を経由して裏山に上ることができました。この裏山は子供の足で15分程度の山で高い山ではありませんでしたが、京都タワー程度の高さで、頂上は視界が開けており京都の街を一望することができました。

頂上から見渡しても街の外縁には山があり、その山を越えたらどこに行けるのだろうかと毎日のように考えていました。山を越えたら違う世界が広がってるんじゃないか。毎日妄想し、何とか山を超えたいそう思っていた小学生時代でした。

 

矢野さんの中高時代

中学校に上がると、山に行くことはなくなりました。山を超えても世界は何の変化もないことが分かってきたからです。矢野さんはとにかく学校が嫌いでした。そのため、休めるギリギリの日数まで休んでいました。あと一回遅刻したら留年というところまでいきましたが、そのギリギリは守っていました。学校に行き、窓の外を見て隕石が落ちてこないかなと毎日考えていました。とにかく毎日同じことをするのが面白くなかったのです。今であれば、学校の外の団体に入るなど学校以外の楽しみの作り方もわかるのですが、当時の矢野さんには分かりませんでした。何も知らないから学校に行くしかない、本当に面白くない、ゾンビパニックになればいい。このように考えていたのでした。

受験勉強も嫌でした。さぼり癖のあった矢野さんですが、成績はしっかりオール5をとっていました。勉強はしなくてもできたため、定期テストでしっかり点は取るようにしていたのです。そして指定校推薦で龍谷大学政策学部に入学します。3つ上のお兄さんが龍大政策学部に所属していたので、考えずに龍大に決めたのでした。

 

矢野さんの大学生活

「大学生ってボランティアやろ!」

お兄さんに「就活するときに喋るときに困るやつが出てくるからまじめなことをやったほうがいい。」と言われて、ボランティアセンターに入りました。大学1回生のときは色々なボランティアに参加しました。多くの募集はNPOがおこなっており、NPOでボランティア活動をするうちに組織としてのNPOに興味を持つようになりました。そこで矢野さんはNPO専門のゼミに所属することにしました。

2回生のゼミ活動では和歌山のワイナリーで、ワイナリーの経営、ワインのマーケティングの手伝いを行いました。同時に大学のプログラムで夏に2週間中国に行ったりもしました。

 

コーヒーとチャーリー

3回生で転機が訪れます。ワイナリーでタイ人の従業員と出会ったのです。彼はタイの山岳民族出身でした。ワイナリーの社長が彼の話やタイに興味を持ち、矢野さんは一緒にタイに行くことになりました。その際、タイのコーヒー農園を見に行きました。まったく興味があったわけではなく、偶然タイのコーヒー農園を見に行ったのでした。農園では、虫を食べさせてもらうなど、手厚い歓迎を受けました。そして、今までまともに飲んだことのなかったコーヒーを、景色のいい場所で、その場でフライパンで焙煎し、皆で飲みました。これが忘れられないほどおいしかったのです。

さらに矢野さんは思います。今まで自分はコーヒーを飲んだことがなかった、それでもおいしいと感じるということは、山を登り、農園を見て、焙煎し、景色の良いところで飲むという一連の体験を含めて「おいしい」と感動したのだと。これが矢野さんの原体験となりました。そこではタイのコーヒーがまだ日本では知られていないことも知りました。

日本に帰ってきて、ゼミの先生が主催する学内のビジコンに出ろと言われ、「タイのコーヒーを日本に広めるビジネス」で出場します。しかし、結果は準グランプリでした。矢野さんは負けず嫌いなのでこれには納得がいきませんでした。そして、本気でこれをカタチにする思いが強くなっていったのです。そしてこう決めました。
「3年の年明けで仕事にできるか挑戦しよう。」

矢野さんは自分がすべきことを考えます。まずは、現状でタイから仕入れられそうな豆のレベルを知らないといけないと思いました。そして、近場で行けそうなスペシャルティコーヒーのお店にアポなしで行きました。結果は惨敗、2、3時間店主に怒られ、持って行ったタイの豆もダメだと言われました。

「これでは無理かもしれない。」と一瞬思いましたが切り替えて次の日に同じ店を訪れました。コーヒーを教えてくださいと頼み込み、店主からコーヒーのあれこれを教わりました。2、3ヶ月通い、その店主の方も良い人で無償であれこれと教えてくれたのでした。

そして矢野さんは再びタイに行き、良い豆探しを行いました。しかし、全然いい豆には出会えません。「むりかなぁ…」と思いながら、街のカフェに入りコーヒーを注文しました。
「うまい。」
ついにタイに来ておいしいコーヒーに出会い、そしてその豆が取れる山の名前と「チャーリー」という豆の名前を聞きます。

矢野さんはこれに賭け、その山に向かうことにします。歩き回って、「チャーリー」の名前を知っている人がいないか尋ねて回りました。すると偶然にも、チャーリーの息子の電話番号を知っている人に遭遇することができました。その人に電話してもらい、念願のチャーリー農園をおとずれました。

 

矢野さん

矢野さん

 

挑戦の日々

そして、チャーリー農園の豆を日本に輸入し販売したいという話をすると、是非一緒にやりたいと返事をもらいました。チャーリーの連絡先を入手し日本に帰国し、今後の計画を進めようと考えていきます。しかし、チャーリーにメールを送っても返事が返ってきません。矢野さんは焦りました、そしてどうしようもないのでタイに行こうと思いタイに行くという旨のメールを送りました。すると返事が来ました。

こうして半年間くらい、1ヶ月に1回タイに行く生活が始まります。少しずつ話が進んでいき、10月に書面にて契約を交わすことに成功しました。同じタイミングで、矢野さんは自分の会社・株式会社アカイノロシを設立しました。今から5年前の話です。

その年の年末年始に、チャーリーから初めての豆が日本に来ました。その生豆の状態で卸売りを行うための営業を一軒一軒カフェを巡って行いましたが、単価と回転率の問題で生豆の卸売りをやっても難しいことを感じます。やはり、豆を焙煎し、焙煎豆として売らなければ売れないのでした。

そこで矢野さんは、以前お世話になってた焙煎所で豆を焼いてもらって、週末などのイベントで一般のお客さんに販売し始めました。次第に人気も出始め、ポップアップは毎週末固定の場所でやるようになりました。これを1年半くらいやったところで、コロナ禍になったのです。

 

西陣店の開店

もともと矢野さんは自身のコーヒー店を持つ気持ちはありませんでした。もともとは、焙煎所をもつためにもお店があった方がいいと考え、契約を仕掛けていたテナントがあったのですが、コロナ禍の当時では集客が見込めず切り上げたのでした。しかし店を開けないにしろ、何か動かないと会社は潰れてしまいます。地道に知り合いのコーヒー屋さんにリサーチをしていくと、住宅街でやっているコーヒー店はコロナによるお家需要のおかげでなんとかやっていけていることがわかります。

そんな時、現在の西陣の住宅街のテナントとたまたま出会い、お店を作ることにしたのでした。創業してちょうど2年経った日に、今から3年前にLaughter西陣店をオープンしたのです。2020年夏、コロナが少し落ち着きを見せはじめ、人々がマスクを取り始めた時期でした。西陣店には念願である焙煎所もつくりました。

オープンしてからは地元の人や自転車圏内の人が来てくれました。矢野さんが思っていた以上のお客さんの入りでびっくりしたそうです。また、西陣店の開店は商売するエリアではないと皆に反対されましたが、結果としてお客さんが入りやってよかったと感じました。最初は反対していた人たちが成功すると正解やったなと言ってきて、みんな当てにならない、他人のことには無責任なところがあるものだと学びました。

 

Whateverとの出会い・北大路に開店

西陣店をあけて1年後にフランチャイズ展開し、ちきりやガーデン本店のなかにコーヒースタンドをオープンしました。さらにその1年後の春、ついに矢野さんはWhateverと出会います。

当時、RiverSideに入居してほしいカフェを探していた弊社代表・楪葉は、取引先の銀行の紹介で株式会社アカイノロシ・Laughterを知りました。紹介をした銀行の方は、もともと矢野さんがアカイノロシを立ち上げた際にお世話になった方で、アカイノロシのことを覚えており楪葉に紹介をしてくれたのでした。

矢野さんは楪葉から北大路のRiverSideでコーヒーを出さないかと言われて、即答でやることを決めました。西陣の店は地域の方の日常に寄り添った店かつ焙煎所も兼ねた会社の本拠地で、お客さんが固定化しており新規の方が来にくいという問題がありました。そのため、アクセスがよく、ぱっと目につくような場所でライトな層にコーヒーを提供したいという思いがありました。

北大路のRiverSideは場所もよく、断る理由はなかったのです。出会った日にやることを決め、契約や内装を急ピッチで整え、なんと楪葉と出会って3か月でお店を完成させたのです。

北大路の店は圧倒的にお客さんの目につく頻度が上がる、と矢野さんは言います。また、おもしろいことに、西陣と違って季節や天候の影響を受けやすいとのことです。地理的条件が種腰異なるだけでここまで変わってくる面白さがあると、楽しそうに述べました。

 

毎日お店に立つ矢野さん

毎日お店に立つ矢野さん

 

RiverSideとLaughter

RiverSideとLaughter

 

矢野さんのこれからやっていきたいこと

コロナが明けて、久々にタイのチャーリー農園の人々に会いに行きました。すると、チャーリーの息子が農園を引き継いでいたり、新しい豆つくろうという動きがあったりとチャーリー農園も変化を遂げていました。このように前に進んでいこうとしている人々を見て、矢野さんは一個の家族とやってきたからこそできることがたくさんある、まだまだあると改めて感じます。

そこから、農園のスタディツアーの計画を始めました。日本からタイのチャーリー農園に人を連れて行くツアーです。コーヒーが好きな人が手軽に行ける農園はなかなかありません。なのでコーヒー好きにとってはまたとない経験になるのです。普段私たちは豆を買うことをECでボタンを押すという動作で済ませてしまいます。しかし、その裏には自然というコントロールできないものと一緒に仕事をするコーヒー農園の方がいるのです。一度コーヒーの木がダメになると再び収穫できるようになるまで数年単位かかる仕事をしている人が裏にいるのです。自分の手で実を摘み取り、1年に1回の収穫のためにすべての心血を注ぎ仕事をしている人がいる、これを生で見ることはコーヒー好きにとっても、そうでない人にとっても、人生の大きなマイルストーンになることは間違いないでしょう。

そして、山を歩いて、その場で焙煎したコーヒーを飲んで、感動し価値観が広がったという矢野さん自身の経験を、学生等に感じてもらう機会になればとも考えています。山の中で携帯電話を触らずにいる時間は貴重なものです。また、火を囲みコーヒーを飲みながら人生を語るという自身がした体験は多くの人にとって人生の中でも大きな経験となるのではないかと考えています。これを広めたいのです。同様にタイから日本に来る人の体験を作るツアーも考えています。

 

大切にする思い

矢野さんは、あまり先まで見通しを立てるタイプではありません。しかし他の人に委ねる形で人生が進むのは嫌だと感じています。だからこそ自分が責任取れる生き方をしようと決めています。将来こうなりたいというビジョンが特にあるわけではないですが、単純にそのときの興味や好奇心に従ってやっていったら、矢野さん自身が行きたいところに行けるんじゃないかなと考えているのです。

また、自身が起業していると経営者の知り合いが増えていきます。そういった経営者の方にもっとビジョンはないの?と言われることも多くあるそうです。もちろんビジョンが大事なのは矢野さんも共感していますが、それよりも今何ができるかが一番大事と感じているのです。ビジョンの有無にかかわらずどっちみちコツコツやるしかないからです。

当然、外から見たら派手なことが、目に見えるわかりやすい結果が目につくものです。外から見たら順調にやれてるように見えるお店も、毎日同じことをやり続けた結果として「当たり前」に見える結果が存在しているのです。だからこそ想像がつかない普通の日常のこと、続けないといけないことへの意識を忘れたくない、コツコツ毎日やることを忘れたくないと感じているのです。

また、コーヒー屋さんはコーヒー大好きなひとがやることが多いですが、矢野さんはコーヒーが好きで始めたわけではありません。これを仕事としてやろうと決めたからコーヒー屋さんを始めました。もともと日々の学校のようなルーティーンが嫌いな矢野さんでしたが、自分でやると決めたからという責任感で意外と苦も無く毎日お店の運営ができているとも話します。

 

Laughter

Laughterというお店の名前は笑顔という意味です。これは矢野さんの経験から名付けました。タイに何回も行ってもなかなか最初は信用されませんでした。しかし回を重ねるほどに、チャーリー農園の人々が山の麓に来てくれたり、ご飯をくれたり、もてなしたりしてくれるようになったのでした。最終的にチャーリーの家に泊めてもらえるようになり、その際皆で雑魚寝をしていました。朝起きるとチャーリーの知り合いのコーヒー仲間が様々なコーヒー豆を自分で持ってきてくれていました。それを皆で焙煎し円になって飲み合いました。言葉は通じないけれど、コーヒーを通しておいしいなあと皆が自然と笑顔になったのでした。お店を作るとなったときに、どんなお店に、どんな場所にしようと思い出したのがこのときの景色でした。だから、人種を超えて笑顔があふれる。意思疎通ができるお店を目指し「Laughter」としたのです。

 

Laughterと矢野さん

Laughterと矢野さん

 

Whatever Shimogamo・RiverSideと矢野さん

矢野さんは現在、RiverSide1階で「Laughter KAMOGAWAstand」を経営されています。

矢野さんとお話ししたい、Laughterのコーヒーを飲みたいという方はぜひRiverSideまでお越し下さい。

 

弊社インスタグラム

https://www.instagram.com/whatevershimogamo/

 

その他の入居者の記事はこちら

https://whatever-produce.com/member

 

次回もお楽しみに。

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